November 21, 2013

箱の中

すごく書くのが難しい話で、
場合によっては嫌な気分にさせてしまうかもしれない話です。
ごめんね。
先に謝っとく。



箱の中に仔牛の死体が山積みになっています。

あるチーズを作るためには、仔牛の腸内にある特殊な酵素が必要です。
それを取り出すために、仔牛は殺されて、その後の仔牛は廃棄されます。

それほど大きくない箱に、その死骸が折り重なっています。

それを見て、私たちはとても暗い気持ちになります。
少なくとも、愉快な気持ちになる人はいないでしょう。



箱の中の仔牛の画像は、菜食のプロパガンダとして使われます。
否定はしません。
可哀想な運命を辿る牛がいること。
知る必要のあることと思います。

でもね。
箱の中に、美味しそうな野菜が入っています。
小さな段ボール箱の中に、野菜がいっぱいに。

それを見て、僕はとても嬉しい気持ちになります。
よっぽど苦手な野菜ではない限り、悲観する人はいないでしょう。

ただ、命あったものが、本人の意志ではなく、途絶え、
箱の中にあるということにおいて。
乱暴な云い方をするなら、箱の中に死骸があると云うことにおいて、
それは同義です。

なぜ仔牛の箱にのみ、私たちが嫌悪感を示すかと云えば。
その形が、より私たちの死のかたちに近く、
たいていの場合の「私たち」は、「死」をネガティブで
忌み嫌うものとして、認識しているからです。

その「死」が理不尽に訪れることを、恐れています。

云いたいのは。
嫌悪感は、箱の中身によってではなく、
自分の中にある「こうあらねばならない」とか、「こうあるべき」という、
正しさによって生まれているということ。

人は自分が否定するものによってのみ、傷つけられます。

私たちが否定したものは、私たちの敵となり、
強く拒絶するほど、それは強い力を持ちます。

それを一生懸命、攻撃したり、逃げ出したり。
その戦いには、終わりがないの。
否定するこころから、「敵」は次から次へと、生まれてくるから。

私たちが敵と思うものは、じつはただの箱だったりする。
自分を傷つけられるのは、自分だけなの。

だから。
砂糖が悪い。白米が悪い。じゃがいもが悪い。肉が悪い。
そういうマクロビオティックや、菜食はうまくいかない。

人を動かすのは、恐れ。
でも、恐れから生まれるものは、けっしてうまくいかないの。

良い悪いを信じている限り。
これが正しいを、握りしめている限り。
その正しさを訴えても、望む正しい世界は永遠に来ないもの。



小淵沢にヒーリングの先生がいます。

僕よりずっと大先輩の女性で、ほんとうに人の人生を変えちゃうような人。
彼女が、肉を使って、家庭料理をふるまうことがあるのですけど、
実際、なにか不思議な美味しさがある。

ベジタリアンの人も、彼女の料理は自然に食べてしまう。
とある先生が、「うん、この牛肉。成仏してるね。きっと次は、人間に生まれると思う」と話すの。

肉を成仏させる調理法?
聞いてみた。

「伝えるだけ。牛肉を癒してあげるのよ」

ありがとうね。あなたを食べて、私たちと共に生きてね。
気持ちをこめて、料理して。
「いただきます」と手をあわせます。

草も牛も。
みんなひとつの源から生まれる家族だもの。

たべることは殺すことではなく、活かすことでありたい。

すべてに悪を生まない。
生きとし生けるものを、慈しむ気持ち。
世界を動かすのは、そういったあたたかな感情なのだと思う。


ね。
想像してみて。
もしもね。

みんなが、良い悪いのゲームを手放して、
こころから「いただきます」と手をあわせることが出来る世界になったなら。

きっと、可哀想な牛は、どこにもいなくなる。
そう思うんだ。


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この記事へのコメント

1. Posted by mili   November 22, 2013 09:12
ちょうどブラータを食べながら、美味しく、いただきましたよ。
素敵なお話ありがとうございました。
2. Posted by arinkomama   November 22, 2013 13:19
はっとするお話でした。
マクロビの料理教室に行った時、そうかぁと納得できることと、なんとなくの違和感の原因が少しわかったような。

料理には、料理される存在、料理する人、いただく人、いろいろな思いと愛があるのですね。
とっても奥が深いですね。

ありがとうございました。

またオハナさんに行きたいな(*^_^*)


3. Posted by kaneohebaydr   November 22, 2013 20:58
いつも楽しく読ませて頂いています。
とてもinspiringな記事ですね。


私達人類は、動物からも植物からも大きな恩恵を受けています。動物は、人間に近い形で、辛い気持ちを表現できる手段を持っています。それは、動物の命が植物の命より尊い、という意味では無いと私は思うんです。植物は何も言わず自分たちの命を差し出してくれてるから、植物の方が精神的に大人なのかも?笑。もしかして植物は私達のために沈黙を選んでいるかも....

私自身は魚を食べる菜食主義(単に日本食が大好きだけなのかも?笑)といった感じですが、肉食、魚食、菜食、雑食etc etc...何であれ、おいしい食事をおいしいと感じることができる健康な体を持っていること、毎日莫大な自然の恩恵を受けていること、その恩恵を一緒に分け合える大切な人がいることに感謝する気持ちってすごく大切だと思います。


あ、あと自分の体/心の声を聞くことも大事だと思います。

4. Posted by papa   November 22, 2013 21:55
miliさん、こんばんは。

ぶらーたという食材があるのですね。
イタリアの食文化は、奥が深いです。

いつか、イタリア各地を巡って、地域のパスタを勉強して回りたいなぁと思っています。
5. Posted by papa   November 22, 2013 22:12
arinkomamaさん、こんばんは。
あれが良い。これが悪いといってるステップも必要なのだと思うのです。
でも、それは通り道で、それがすべてじゃないの。

肉を食べるのを力づくで禁止しても、うまくいかないのね。
肉を食べる行為を非難する人が、非難されるべき、その現実そのものを生み出しつづけていることに気がついてないもの。

人は与えたものを受け取ります。
恐れを使えば、たやすく人はコントロール出来ますが、
それはやがて、自分の背中に刺さる矢になります。

だったら、僕は楽しいのが、いちばんいい。
そう思いました。
6. Posted by papa   November 22, 2013 22:21
kaneohebaydrさん、こんばんは。

最近、ヨガを習ってみて、自分の体の内側の方へ意識を向けることを、とても新鮮に感じました。今まで、体があって、あたり前でしたもの。

砂糖が悪い。
そう信じれば、本人の意図するしないは別に、そういう世界が形作られます。
その形作られた世界を見て、より一層その思いを強くする。

面白いと思うの。
砂糖が悪いという想いが先か、砂糖が悪いことが先か。
あたり前と信じていることは、すべて幻のようなもの、思います。

なんでも食べたら良いと思うのです。
食べないのも自由です。
そこから何を学び、何を選び、どう生きるのか。

それを楽しむために、僕たちはここにいるのですから。
7. Posted by kaneohebaydr   November 23, 2013 21:08
5 papaさん、こんばんは。

そのとおりですね。
私もなんでも食べたら良いと思います。無駄はものは無いと思います。
良い悪い、とか、正しい間違ってるではないと思います。


食べるって本当に楽しいですものね。

私もいつか

8. Posted by kaneohebaydr   November 23, 2013 21:09
Ohanaでおいしい食事を頂ける日を夢に見ています
9. Posted by 。   November 24, 2013 00:28
肉も、草の化け物ですからねー。
(下品な表現で、ごめんなさいね。)

そして、草は、土の化け物です。

野菜の命のサイクルは、
短いようでいて、
何億年という大地の記憶と、
捕食という形で
他の生き物の記憶をも、
受け継いでる命なんですね、
きっと…。

そして、全ての命は土に還るー

地球という大きな箱の中に…。
10. Posted by papa   November 27, 2013 01:00
日頃、私たちは見ないようにしているだけで、
この世界はとても残酷な面を持っています。
でも、それって、悪いこと?

それを否定し続けて、ずっとそれに傷つけられてる。
そうやって、僕たちはずっと過ごしてきたのだと思うの。

ひょっとしたら。
僕たちを苦しめていたのは、粉食でも、砂糖でも、肉食でもなくて、それをジャッジして、否定し、拒絶しつづける、僕たちのこころかもしれない。

良いものも、悪いものも、良く来たね^^と、受け止められるなら、もう何にも傷つけられることはないのかもしれないですね。

11. Posted by 。   November 27, 2013 01:55
変だと思いながら、
どこか違和感を感じながら、
こう信じなさいと言われたことを
ただ信じる…

桜沢先生は、
それではいけないと、
おっしゃってたはずなのですけれど。

納得できないままでも、
満足できる答を得られないままでも、
都合の悪い疑問は、
とりあえず
なかったことにしてしまう…
それが、
人を怒らせない、
要領のいい生き方なのかも
しれませんけれど、
私にはとうとう
できませんでしたわねぇ。

自分の疑問を手放してしまう人間に、
どうして、
人の質問に応えることが
出来るだろう?
って、思ってしまいますもの。

いつも色んなことを
考えさせて下さって、有り難う。
12. Posted by manmo   November 27, 2013 10:50
papaさん
おはようございます
いつもありがとうございます。
どうしても罪悪感とか否定とかから創りだしてしまうものって沢山ありますよね。とつくづく。
全てに愛と感謝をもっていきたいと思います♪
13. Posted by loveanimals   November 28, 2013 10:54
完全な言い訳だと思います。では、同じ動物である人間の場合、殺されても成仏出来れば良いのか?殺された後皆に感謝されれば良いのか?と言うことと同じです。成仏したか否か、それも又人間都合の勝手な解釈でしかありません。罪悪感を持ったり疑念を持つことも必要だと思います。そう言う感情を持つことで人は考え学びそれを持たなくて済むための努力するのだと思います。何も考えずに全てのことにただ感謝することは「感謝したから良い」とする言い訳は、ただのすり替えだと感じます。
14. Posted by so-   November 28, 2013 18:19

 どんなに美しい定義やドラマだとしても、

 同じことの繰り返しなのではないでしょうか。


 
15. Posted by papa   November 28, 2013 22:48
あ。
もさん。

要領のいい生き方のできないもさんを、僕は好きですよ。
同じ星から来た人の匂いがします^^。

お酒。
いまちょうど新酒の時期だから、いまあるのは去年のお酒なの。
夏越えると、どうしても味が丸くなるというか、おとなしすぎて。
送る価値ないかなと。

1日に新酒が出るから、もう少し待ってね。

あと、manmoさん。
いつもありがと。
今度来るまでに、もう少し南瓜アイスを何とかしたかった感じで。
16. Posted by papa   November 28, 2013 22:49
loveanimalsさん。
肯定のコメントばかりでしたから。
僕の本当に云いたいことが云えなかったのです。
ありがとうございます^^。

成仏に話のポイントをおくと、論点が違ってしまいます。
僕が云いたいのは。
すべてにおいて、善も悪もないと云うことです。


では、人間を殺すのは、悪ですか。

普通、常識と照らし合わせた場合、私たちは悪だと考えます。
しかし、戦場において、人をたくさん殺した者も、英雄とあがめられるケースがあります。

人を殺すことですら、必ずしも悪ではないのです。


じゃあ、殺しても良いのかと、云う人もいるでしょうから。

私たちが受け取るものは、私たちが与えてきたもの。
自分がそれを望むなら、殺せばよいと思うの。
人は人を殺すことで、自分も殺してしまいます。

それは悲しいことですが、悪ではないのですね。



17. Posted by papa   November 28, 2013 22:50
いま、この国は戦争をしたがっているように、僕には見えるから。
云いたいことが云えなくなる前に、書いておきたいなと思うの。


怒りを生み出す、善と悪。
その善と悪を生み出す、私たち、みんなが持っている「正しさ」。
そこに疑念を持つべきだと、僕は云いたいのです。

私たちが、常識と信じているものはすべて、幻想です。
人と同じであることで、私たちは安心します。
それを得るために、人と同じであろうとする。

しかし、気がつけば常識ある大衆のひとりとして、大きな暴力に荷担していたりします。


話を戻しましょうね。

動物が可哀想だから食べない。
それはエゴです。

人は、植物であれ、動物であれ、他の命を糧として得なければ、生きてはいけません。
これは人間の抱える原罪だと思うの。

それならば、それを憎み、拒絶するのではなく、活かすことを考えることを僕は選択していきたいと思う。
それが「いただきます」と手をあわせる、
本当の意味だと思うのです。

ほんとうに他者を救いたいと思うのでしたら、
他者を救いたいというこころを手放さなければ、なりません。
救わなければならないものは、いないからです。

あなたの目に映る、この世界にあるすべては、
あなた自身が信じ、生み出している世界なのですから。

それを非難し、拒絶することは、なにも変えられないの。
それは自分自身に責任を持たない、受け身の考え方です。

いまある世界や誰かが、気に入らないと不平ばかりを言う前に。
あなた自身が、それを自在に変えていける。
打ち砕くべき相手ではなく、
その意識を、もっと内側に向けて下さい。

悪を生んでいるのは、私たちです。
すべてにおいて、善も悪もありません。

それは「きれいごと」ではなく、
この世界にあって、私たちが認識できる、
ただひとつの真実だと思うのです。
18. Posted by itsuko   November 28, 2013 23:13
こんばんは。

いつもお店のお料理、ブログと楽しみにしています。

最近ベジになり、一切の動物達を食べなくなりました。

ものすごく簡単な話しですが、人間の食欲の為だけに涙を流して嫌がる動物を、わざわざ捕まえ傷めつけ殺さなくても他にも食べる物がたくさんあるのにと思っています。

稲を刈る行為と動物を殺す行為は同じとは思いませんが。

ただ、ホントに伝えたいのは動物を食べている人を責めたいのではなく、こんな残酷な屠殺システムは終わりにしませんか?ってこと。

人間が作ったシステムです。
人間が終わりにさせることなんか簡単なはず。

スルーせず、一体私達は何を食べているのかしっかり目を開いて見る必要があると思います。



唐突にコメント失礼しました。





19. Posted by papa   November 29, 2013 00:03
うーん。
稲も肉も、食べるという点において、同義です。
食べられないからと、米飯を捨てる人をどう思いますか。

人により、正しさは違います。
どちらが優れているかも、ありません。

世界を変えたいという意見は、今の世界を否定しているところから始まっています。
いまのあるままから、幸せを考えるアプローチもあると提案してみます。

それは、妥協ではなく、世界を変えるよりも、簡単です。

自分たちの食べているものをちゃんと知ることは、大切だと思います。
動物たちにかけるのと同じくらい、愛のある情報発信があれば、もうちょっと違う響きかたをするのに、と、いつも思います。


20. Posted by loveanimals   November 29, 2013 00:47
この世に善悪がないのであれば、エゴも悪ではないと言うことでしょうか。
一般的には「自分勝手、わがまま」のような意味で使われることが多いと思いますが、例えもしpapaさんが断定される非肉食がエゴであったとしても、私は動物を食べません。
命を大事だと思うことは誰にも否定できないと思います。

現代の畜産システムはあまりにも非人道的であり残虐です。
安価で提供するためにコストを抑える、そのためのシステム化の中で、動物たちは生き物として扱われてはいません。
そして多くの先進国での大量生産、大量消費。
世界中で有り余って廃棄される食料の1/3はアジア圏です。
残虐な行為の過程で作り出される肉の真実も見ようとせず、私たち人間と同じ、喜びや悲しみや苦しみの感情を持つ動物たちに思いを馳せることもせず、ただ感謝して受け入れる事だけを肯定する行為こそ、正にエゴだと感じます。

人を殺すのは悪です。
戦争などで殺人行為を英雄として崇めるのは、戦争自体を肯定するためのすり替えです。
殺人でさえ崇められるケースがあるから、殺人は悪ではないとすることはナンセンスです。

>しかし、気がつけば常識ある大衆のひとりとして、大きな暴力に荷担していたりします。
常識ある大衆のひとりとして肉食することが当たり前、でも見えないところで動物たちを残虐に殺し続けていると言う大きな暴力に加担していることに気付いて下さい。

>それならば、それを憎み、拒絶するのではなく、活かすことを考えることを僕は選択していきたいと思う。
正に人間の都合だけを重んじた勝手な言い分でしかありません。私は動物を「活かす(利用する)」ことではなく「生かす」ことを考える選択をしていきたいと思います。
21. Posted by 。   November 29, 2013 23:46
人間樣って、
そんなに偉いのかしらねぇ?


私たち人間の糧となるために、
酷い殺され方をする動物たち、
殺されないまでも
母親の乳を奪われる子牛たち、
可哀想という気持ちも、
憤りも、
たぶん、パパさんが人一倍
感じてらっしゃいますよね?

その上で、
種として自分に近いもの=動物
の命が上で、
植物が下、という位置付けが、
人間の思い上がりのように
思えてしまうんでしょう?

動物の命は、
もちろん大切ですとも。
無理矢理
狭い厩舎に閉じ込め、
薬付けにし、
人間の好き勝手に殺していいはずが
ありません。
そんな当たり前のことを、
わざわざ攻撃的に
おっしゃる必要はありません。

私も、パパさんと同じで
肉を食べませんけれど、
だからなのか、
私たちの糧となる植物が、
大地の声そのもののように、
感じられることがあります。

涙こそ流しませんが、
農薬と化学肥料で弱りきった
力のない大地で育ち、
遺伝子まで変えられて、
本来の旬ではない季節に
収穫される野菜たちは、
泣きたくなるような味がします。

肉食動物は、
狩りをすることをためらいません。
悩みも持ちません。

飢餓に悩む国の人々も、
食べ物を選り好みしません。

食べ物は、食べ物です。
肉も、野菜も、
命であり、命の糧となるものです。

一部の恵まれた人間だけが、
選り好みをし、
食べ物に優劣をつけます。

動物を可哀想と言うその口で、
人を攻撃します。


人間樣って、
そんなに偉いのかしらねぇ?


あぁ、またやっちゃった…

黙ってりゃ、
可愛いおばあちゃんなのに、ね?
22. Posted by papa   November 29, 2013 23:51
こんばんは。loveanimalsさん。

あなたは感受性が高く、優しすぎるのです。
人が見過ごして過ごしてしまうものを見ることが出来て、
それに心を痛めていますね。
ひたすらに、何とかしたいという気持ちなのだと感じます。

でもね。
何かを否定するこころは、幻想に敵を作り、争いを生みます。
現に、あなたの味方であるはずの僕も、すっかり戦争肯定論者で、
あなたの敵です。
僕、菜食の料理人ですよ(笑)。

エゴであることは、悪ではありません。
人間は誰でも、わがままです。
僕はあなたを非難するつもりは最初からありません。

僕は、怒りや恐怖ではなく、
「楽しい」と「調和」でその問題に取り組んでみたい。
あなたと主義が違うだけ、立っている場所は同じです。

可哀想だからという理由も、菜食のきっかけとしては良いのだと思います。
すくなくとも、間違えて菜食のレストランで働き始めた僕よりずっと素敵な動機です。

でも、ずっと可哀想というのは違うと感じるのです。

自然とかけ離れたものは、かならず淘汰を受けます。
いまの工業製品として命を扱う、畜産の在り方は、
あまりにも自然とかけ離れてしまいました。
ほっといても、新型インフルや、狂牛病とかで、このシステムは消えていきます。
犠牲は払わなければなりませんが、あなたが手を下すまでもなく、なくなるものです。

私たちがしなければならないことは、なにもないのです。

人が森を守るのも、温暖化を防ぐのも、ゴミを減らすのも、菜食をするのも。
ぜんぶ人間のため思います。
そういう意味で、それはエゴです。

いま、それを考えないと人類が滅びます。
それを考えるあなたを僕は尊敬しますよ。

23. Posted by papa   November 29, 2013 23:52
あと。
一部の自然主義者の人に思うのですが。
自らの意見を通すためなら、手段を選ばない人がいます。
正直、嫌いでした。
相手をコントロールするために、恐れの感情に訴える人。

自分の正しいにそぐわないものであれば、悪とし。
悪いものは、攻撃することを彼らは諒としますから。

よくあるテレビのヒーローから、子供の頃の私たちの中に蓄積しだすの。
悪いものだから、暴力をふるっても良いとする常識。
こんなときは、怒るものだというものさし。

悪って、なんだろうと思うの。

どんなに主義主張が素晴らしくても、
やってることは、彼らの否定する相手や、
この社会のシステムと一緒になってしまってる。

そういうのをさんざん見てきて、
その方法では、世界の何も変えられていないな、と。
もう、そんな良い悪いのゲームを終わりにしてみようと思ったの。

きれい事なしにして、ひとつひとつ。
毎日の自分の中の良いと悪いを消すゲームをしてみました。
なかなか困難です(^^;)。


悪を生み出す、「正しさ」はいつも曖昧です。
世間一般で、これは正しいから、私も正しいと思う。
学校で教えてもらったから、テレビで言っていたから。

人と同じという正しさ。

この考え方は、とても危ないと感じます。

ナチスドイツのユダヤ人虐待は、いま、多くの人が悪だと云うのですけど、
当時、多くのドイツ人がナチスを支持していたように。
気がつけば常識ある大衆のひとりとして、大きな暴力に荷担していたりします。

戦争は悪だと。
そういえる私たちは、とても幸せなのです。
これから先、日本が戦争をする国に戻れば、戦争は悪だという意見は通りません。
そうなりかけていますが。

戦争に、善悪などないのです。
そして、どんな条件においても、戦争は不要です。
戦争はただ、国を疲弊させるだけのものだからです。
24. Posted by papa   November 29, 2013 23:57
そんなふうに。
ものごとはすべて、良い面と悪い面をもっていますね。
活かせば、良い。
活かせなかったときに悪いとなります。

もともとは同じひとつのものなら、
その本質に善悪はありません。

善悪を手放せば、もっと楽しくなると思う。

ポジティブなことも、ネガティブなことも、
それを味わうために僕たちはここにいるのです。

善悪を手放せば、みんな、ずっと楽しく生きていけると思う。
楽しいは、大きく世界を変える力になりえます。
25. Posted by papa   November 29, 2013 23:59
もさーん。
煽って、どうするの、もう。
26. Posted by 。   November 30, 2013 03:57
私って、こうなの。
あだ名が、
“サザエさん”ですもの。


私のコメントに限り、
編集を許しますから、
物議をかもすような
部分に関しては、
伏せ字にするとか、
黒く塗り潰すとか、
「しばらく、お待ちください」
状態にするとか、
適当に
緩和しちゃって下さいな。
27. Posted by papa   December 01, 2013 00:33
草原を歩くとき。
咲いている花は、可哀想だから踏まない。
草は踏む。

可哀想だからと何かを救おうとする、その行為を否定しません。

でも、可哀想だからと食べ物を選ぶ私たちは、どれだけ恵まれていることか。
戦争を悪だと云える僕たちの世界を作るために、どれだけの犠牲を払ってきたのか。

それを忘れて、あれが悪い、これが悪いが、いつまで続くのだろう。そういうのなくても、僕たちは僕たちでいられる。
そういう話だったのですけど。

サザエさんて、悪でしたっけ^^?


28. Posted by 。   December 01, 2013 12:28
野菜が美味しい季節になりましたねぇ。

カブもほうれん草も
柔らかくて甘くて、
お塩や、お味噌や、お醤油の、
シンプルな味付けが、
よりいっそう
素材の味を引き立ててくれます。

大ばばさまの家では、
干し柿が、ぽったりと
食べ頃になっていました。

近頃は、ごく普通の、
当たり前の手仕事さえも、
必要としない食品が増えてきました。
洗い済みだったり、
カット済みだったり、
水煮してくれてたり、
すでに調理もされてたり…
便利ですけれど、
食べ比べると
違いは明らかです。

マクロを習い始めの頃、
「お料理というのは、
調理することだけを指すのじゃなく、
材料を選ぶところ
(育てることも含めて)、
洗うところ、
切るところ、
作るところ、
盛り付けるところ、
そして、
食器を洗って収納するところまで、
全て含めて“お料理”だ」
と、教わりましたのよ。
「どれか一つの行程を見れば、
その人のお料理が分かる。」
と…。

同じ材料、同じレシピで作っても、
人によって味が違う時は、
姿勢が違うんだと。
丁度、弓道の構えのように…。
29. Posted by 。   December 01, 2013 12:29
出来上がったものだけを見て判断し、
それを真似する方が多くなりました。
基本を押さえずに、
最初から自由奔放にしてしまう方も…。

イデオロギーにも、
それが言える気がします。

どんなポリシーを持っても、
あるいは持たなくても、
構わないんだと思います。

明らかに自分より優れた方たちが、
ご立派な意見を述べていて、
いかにももっともだと
納得したとしても、
それを、
自分のもののように発信する前に、
やらなきゃいけないことが
あるはずなんです。

誰かの鳴らす警鐘に
たやすく迎合する前に、
自分の中で咀嚼しなきゃならないことが
山ほどあります。

大きなものは、
大きな物差しでしか
計ることができません。

人を計る時もそうですね。

「何のために学ぶのか?」
と聞かれたら、
「でっかい物差しが欲しいから。」
と、答えます。

裏も表も、善も悪も、是も非も、
計り終えてから、
自分の意見を決めたいから。

まだまだ、短い物差しですけれど…。


そうそう、
物差しで思い出しましたわ。

いいお酒は、
おばばが多少でも
お酒の味が分かるようになってから、
お送り下さいな。
今下さっても、
もったいないだけです。
本みりんを、
「甘口のお酒です。」
と言って渡されても、
区別つかない程度のレベルですもの。
30. Posted by loveanimals   December 01, 2013 13:30
まず最初に失礼を誤ります。ごめんなさい。
papaさんの背景を全く見ず、このブログだけ読んで唐突にコメントしてしまったこと、大変失礼致しました。
ある意味、ネットの悪いところかもしれませんネ!
アっ、「悪い」と書くと「ネット」に責任転嫁してると思われると困りますので、もちろん早とちりの自分の責任だとちゃんと思っています。
それにしてもまさかベジの方とは夢にも思いませんでした。
私は回りくどいのは苦手で、ストレートに物言うたちですので。
でも戦争肯定者とは思っていませんよ。その逆で書いたコメントだと言うことはわかっています。
あくまでも「例え」として挙げただけだと言うことは。
そう言えば今考えると、遥か昔にpapaさんが言っていることと同じことを聞いた覚えがあります。
「可哀想」と思うことで「可哀想なものを作り上げる」と言うお話。

papaさんの力説を読んで、やっぱり「私には無理です」と否定させて頂きます。但し、この「否定」と言うのは「私と貴女は同じではない」と言う意味です。
思うに、papaさんの言いたいことは、ある意味「常識」が同じか又は近い人になら通ずる考えかもしれません。
でも、この世の中にはたくさんの違う考えの人が既に存在しています。
例えば、まだ知識のない子供の常識、お金が一番と考える人たちの常識、自分さえ良ければの利己主義者の常識、人格障害者の常識、ヤクザの常識、発展途上国の常識、そして私のようなアニマルライツの考えの人が持っている常識、etc。。。
31. Posted by loveanimals   December 01, 2013 13:31
それともう一つ。
私は「可哀想」と思う感情を自分から取り除いてしまったらベジになっているか疑問ですし、逆に自分がそう感じることを否定したくありません。
自分に嘘をつくことになるからです。
例えば小さい子供は見て感じたままをストレートに受け止めるだけです。
大人になると、その感情を言い訳することで、自分を誤魔化しながら生きるようになります。
もちろん私は小さい子供ではありませんし、己の心をコントロール出来てしまいますので、例え心を痛めていても、どうしようもない程辛くなることはありません。
papaさんは否定して生きていると自分が辛くなると言いますが、私は何かを否定して生きることが自分を辛くするとは思えません。逆に楽しいことしか考えない方が辛いと思います。何故なら私たちは既に喜怒哀楽と言う感情を持っているからです。
その自然と湧き出る感情を正に「否定」して生きる方が辛いです。

但し、今後はネットと言えど、書いた人の背景も見ずに唐突にコメントすることは避けたいと、今回の事は素直に反省しています。
良く考えてみれば、何故このブログに辿り付いたかと言えば、「ベジの食材を扱っているお店のお勧め」だったんですけどネ!
でも色々お話出来たために、勘違いが解消されて良かったです! ありがとうございました。
32. Posted by papa   December 01, 2013 16:27
人と人は、違います。
違いは、進化に必要な多様化の表れですよ。
大切なのは、相手の意見をどれだけ尊重出来るかということ、思います。

得るものは、自分の与えてきたもの。
人の意見に耳を傾けない人。
その意見に、耳を傾ける人はいないでしょう?
否定する者は、やはり否定されて生きていくの。


可哀想という感情は、あなたの優しさの表れですから、そのまま持ち続けてくださいね。

しかし、それを理由にするのは、違うのですよ。
可哀想では、救えない理由があるのです。

救おうとすればするほど、救われない家畜を増やし、そのジレンマに苦しむ。
その理由を僕はあなたに説明することができますが、ここでのやり取りは、これで終わりにしましょう。

僕が誰かを救う理由もないことに、今、気がつきましたよ。
まいりました(^_^;)。

あなたとのやり取りがあって、ものごとがいろいろ腑に落ちました。
僕からもありがとうを云いたいくらい。
感謝します。

33. Posted by 。   December 02, 2013 01:01
おやおや…。


私の物の見方は、
どちらかと言えば
パパさん寄りですけど、
それが、
この方より上だとは
決して思って居りませんよ。

この方は、自分なりの尺度をお持ちの
きちんとしたお嬢さんですもの。

パパさんのおっしゃるように、
優しい方なんでしょうね。

私、好きですね。
一本気なところが
若い頃の私みたい?…フフフ。

パパさん、
最後のは、
上から目線に聞こえますよ。
おばばは、
そういうのは好みません。
(↑自分もよくやるくせに、
とか言わない!笑)
34. Posted by papa   December 02, 2013 08:07
もさん。いや、ごめんなさい。
僕のここでの議論はおしまいの言葉が
もさんのコメントにかかってしまったのか。

僕のミスです。
もさんのコメントには、お返事は手紙で書きたいと思っていたのね。
気をつけなきゃ。

いや。なんでだろうと思ってたんですよ。

どんなにふらっとに誠意をこめて話しても、
僕の話、ほとんど伝わっていないでしょ、彼女。

なぜそうなのだろうと。

表現が難しいのですが、その気持ちの美しさと裏腹に、
「救いたい」って、人の驕りなのかもしれません。
その対象が、牛であっても、地球であっても、誰か、人であっても。

彼女が牛を呼び続けるように、
僕が彼女を呼び続ける。
彼女が去っても、また同じような人が来る。
それは自分が呼んでいたのだと云うこと。

お前も、していることは同じなのだよって、神様につきつけられちゃったから、
ばつが悪くて、笑っちゃうしかなくて^^。

彼女はたぶん可哀想な牛を呼び続けます。
その純粋な想いとは裏腹に。
それを誰かのせいにして、世界はなぜこんなにも悲しいのかという。

その理由を、たぶん丁寧に説明することを、桜沢さんはしないでしょう。
それの良し悪しは別にして、彼女に必要だからです。
だから変わらない。
僕がそれを変える必要は無く、僕が変わればよいの。

彼女が、牛を呼ぶ理由。
人がどうして幸せになれないか。
マクロビオティックが、自由を最終的なゴールとしていた理由。
じゃあ、自由って何か。

そういうのが、いっぺんにすとんと落ちてきました。
でも、もさんが前に言ったように、知っていることと、身につけていることは、違います。
それを実践のなかで、繰り返してみて、
息を吸うように、それが使えるようにしていきたいと思います。

嫌な気持ちにさせてしまったのは、僕の配慮が足りませんでした。
申し訳ありません。

あ。お酒、新酒は上出来でした(*^_^*)。
35. Posted by 。   December 02, 2013 12:54
あら、いいえ

ちゃんと、彼女あてのお返事だと
分かってましたよ。

ですからまた、
余計なお世話な書き込みだったのですけど。

長いこと
生きてきてると
色んな方を見るじゃないですか。

面と向かって
何か言ってくれる人は、
まっとうな方ですよ。

質が悪いのは、
何も言わずに、
陰で人を陥れるタイプの方です。
それと、
信じてもいないきれい事を
堂々と言える方…。
彼女は、
そのどちらでもなく、
人の話を聞けない方でもありません。

前のコメントにも書きましたが、
私は、彼女のような方が
好きなんですよ。
36. Posted by 花 世   December 03, 2013 22:40
「多くの方が目を通しているブログ」(あなたの影響を受けている方達が多くいらっしゃる)と言う事を踏まえ、必要な一文章なのか、本当に思っている事を伝える為にはこの言葉でよいのか、しっかりと濾過した上で書いて欲しかった印象を持ちました。

37. Posted by papa   December 04, 2013 00:26
花世さま。
文章力が足りないことについては、おわびします。
いままでブログを長い時間書いてきたので、文章に文責があることは、承知しています。
文章の合間に、自分の傲慢さも見つけられますし、未熟さも感じます。

今後に活かしていきたいと感じます。
ご指摘ありがとうございました。

38. Posted by papa   December 04, 2013 02:15
今回の反省も踏まえて、もう1話書いてみました。、
こちらのほうが、僕らしいかなと思うのですが、

「神様のお皿」
http://bluetailhappiness.ldblog.jp/archives/3948946.html


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