February 21, 2018
ブッダと悪口男の話
ブッダの人気を羨んだのか、
彼をよく思わない男がいました。
口汚く罵ってやれば、きっとブッダのやつも
口汚く言い返してくるだろうと。
大衆の面前で、彼を酷い言葉で罵りました。
ブッダは黙り、ただ聞いていただけ。
やがて男は疲れて、黙り込んでしまいます。
ブッダは優しく言いました。
「受け取らなかった贈り物は誰のものだろう」
男はそれに言い返します。
「何をバカなことを言う。
それは、贈ったやつのものだろう!」
と言って彼は、はっと気がついた。
ブッダは言いました。
「そうです。
今、あなたは私のことを罵った。
でも、私は少しも受け取らなかった。
だから、あなたの言葉は、
全てあなたが受け取ることになるんだよ」
うーむ。
僕は、この話、ちょっと違うと思うんだ。
彼をよく思わない男がいました。
口汚く罵ってやれば、きっとブッダのやつも
口汚く言い返してくるだろうと。
大衆の面前で、彼を酷い言葉で罵りました。
ブッダは黙り、ただ聞いていただけ。
やがて男は疲れて、黙り込んでしまいます。
ブッダは優しく言いました。
「受け取らなかった贈り物は誰のものだろう」
男はそれに言い返します。
「何をバカなことを言う。
それは、贈ったやつのものだろう!」
と言って彼は、はっと気がついた。
ブッダは言いました。
「そうです。
今、あなたは私のことを罵った。
でも、私は少しも受け取らなかった。
だから、あなたの言葉は、
全てあなたが受け取ることになるんだよ」
うーむ。
僕は、この話、ちょっと違うと思うんだ。
フェイスブックをしていると、
有名人のちょっと良い話が流されてきます。
ビートたけしが、こんな話をした。
イチローが、こんな話をした。
ブッダが、こんな話をした。
確かに良い話なんだけどさ。
それは本当に「彼」が話したのだろうか?
少なくとも、ブッダのこれに関しては、
正義は勝つという、日本人好みのお話になっていて。
こういう話はシェアされやすく、
アクセスを稼ぎやすいから。
本当かよって、思っちゃう。
でもさ。
悪口に負けないメンタルを鍛えようぜ!とか。
悪口を華麗にスルーして、
カウンターパンチを決めようぜ!とか。
真似出来ないでしょう、そんなん?
と思うのだ。
悪口を言われて嫌だなと思ったり、傷つくなら、
その気持ちは間違いではないと思う。
それを否定しちゃうから、苦しくなるんだ。
某サイトで、この話を紹介してたとき。
「私、こんなに強くなれません」
って、書き込んでいた女性がいて。
「やる前から言い訳するやつ」とか
「出来ないって言うから、出来ない」とか。
コメント欄で、みんなに叩かれてた。
それ、違うと思うんだ。
根性論じゃん、それ。
こんな話で傷つかなくていい。
そうした心ない連中をプチプチ潰しながら、
ずっと考えてた。
ブッダなら、この女性に
どう答えるだろう?
法句教の228番に、
こんなことが書かれてるらしい。
“昔も今も変わらず、
人は黙っている人をそしり、
多く語る人をそしり、
ほんの少し語る人をそしる。
そしりを受けない人はいない。
同様に。
常にただ、ほめられる人も、
常にただ、そしられる人もいない”
ブッダなら、あの場面で、
こういうと思うのだ。
「人はいろいろ話すもんや。
それは当たり前のことやろ?」
法句教はこう解きます。
自分のことについて人が話すのは、
当たり前のことです。
止められることでもない。
その話の中には、
本当のこと、本当じゃないこと。
都合の良いことも、悪いこともあります。
その話というのは、
その人の理解の範疇だけで、
『ただ私についての情報を話している』
それだけです。
話す人が、必ずしも100%、
私を理解出来てる訳じゃない。
間違えてる時もあるし。
たとえ意図的に間違えたとしても、
それは悪口じゃなくて、勘違い。
本当はね。
悪口を言われたからと、
私たちが傷つかなくてはならない理由は、
どこにもないの。
それを嫌だなと思わないことも出来ます。
悪口を嫌だなと感じてるのは「私」だから。
罵しられて快楽を感じる人もいるくらいです。
傷つくのは、悪口を言われたからではなく、
私を誰よりも理解できる自分自身が、
私を認めてあげないから。
誰かの無責任な言葉に、
自分の価値を委ねてしまえば、
人生が壊れてしまう。
君について話す人は、
君を見てくれている。
僕らについて話す人は、
僕らに何かしらの想いがあるから、
話してくれてる。
それはどんな想いだろう?
僕は、それを満たしてあげることが
出来るかもしれないし。
出来なかったとしても
悪口の中に自分の課題を
見つけるかもしれない。
悪口の中に、
学ぶことはたくさんありました。
私たちは感謝の言葉を知っています。
その大切さも。
でも。
感謝するのは、自分に都合のいいことだからではなく。
むしろ、悪いことの方が、自分を磨く糧になるから。
良い日も、悪い日も、ありがたい。
それを日々の生活まで落として、
暮らすことが出来るなら。
きっともう、悪口で傷つかない。
ブッダは、ただ感謝することを知っていただけなのだ。
まとめよう。
彼は、こう云うと思う。
「人はいろいろ話すもんや。
それは当たり前や。
僕らの価値は、誰の言葉にも寄らんと、
僕らは、僕らが認めてあげればええんよ。
良いことも、悪いことも、みんなそのままで
世界のお役に立っとる。
みんな、そのままでええねん」
有名人のちょっと良い話が流されてきます。
ビートたけしが、こんな話をした。
イチローが、こんな話をした。
ブッダが、こんな話をした。
確かに良い話なんだけどさ。
それは本当に「彼」が話したのだろうか?
少なくとも、ブッダのこれに関しては、
正義は勝つという、日本人好みのお話になっていて。
こういう話はシェアされやすく、
アクセスを稼ぎやすいから。
本当かよって、思っちゃう。
でもさ。
悪口に負けないメンタルを鍛えようぜ!とか。
悪口を華麗にスルーして、
カウンターパンチを決めようぜ!とか。
真似出来ないでしょう、そんなん?
と思うのだ。
悪口を言われて嫌だなと思ったり、傷つくなら、
その気持ちは間違いではないと思う。
それを否定しちゃうから、苦しくなるんだ。
某サイトで、この話を紹介してたとき。
「私、こんなに強くなれません」
って、書き込んでいた女性がいて。
「やる前から言い訳するやつ」とか
「出来ないって言うから、出来ない」とか。
コメント欄で、みんなに叩かれてた。
それ、違うと思うんだ。
根性論じゃん、それ。
こんな話で傷つかなくていい。
そうした心ない連中をプチプチ潰しながら、
ずっと考えてた。
ブッダなら、この女性に
どう答えるだろう?
法句教の228番に、
こんなことが書かれてるらしい。
“昔も今も変わらず、
人は黙っている人をそしり、
多く語る人をそしり、
ほんの少し語る人をそしる。
そしりを受けない人はいない。
同様に。
常にただ、ほめられる人も、
常にただ、そしられる人もいない”
ブッダなら、あの場面で、
こういうと思うのだ。
「人はいろいろ話すもんや。
それは当たり前のことやろ?」
法句教はこう解きます。
自分のことについて人が話すのは、
当たり前のことです。
止められることでもない。
その話の中には、
本当のこと、本当じゃないこと。
都合の良いことも、悪いこともあります。
その話というのは、
その人の理解の範疇だけで、
『ただ私についての情報を話している』
それだけです。
話す人が、必ずしも100%、
私を理解出来てる訳じゃない。
間違えてる時もあるし。
たとえ意図的に間違えたとしても、
それは悪口じゃなくて、勘違い。
本当はね。
悪口を言われたからと、
私たちが傷つかなくてはならない理由は、
どこにもないの。
それを嫌だなと思わないことも出来ます。
悪口を嫌だなと感じてるのは「私」だから。
罵しられて快楽を感じる人もいるくらいです。
傷つくのは、悪口を言われたからではなく、
私を誰よりも理解できる自分自身が、
私を認めてあげないから。
誰かの無責任な言葉に、
自分の価値を委ねてしまえば、
人生が壊れてしまう。
君について話す人は、
君を見てくれている。
僕らについて話す人は、
僕らに何かしらの想いがあるから、
話してくれてる。
それはどんな想いだろう?
僕は、それを満たしてあげることが
出来るかもしれないし。
出来なかったとしても
悪口の中に自分の課題を
見つけるかもしれない。
悪口の中に、
学ぶことはたくさんありました。
私たちは感謝の言葉を知っています。
その大切さも。
でも。
感謝するのは、自分に都合のいいことだからではなく。
むしろ、悪いことの方が、自分を磨く糧になるから。
良い日も、悪い日も、ありがたい。
それを日々の生活まで落として、
暮らすことが出来るなら。
きっともう、悪口で傷つかない。
ブッダは、ただ感謝することを知っていただけなのだ。
まとめよう。
彼は、こう云うと思う。
「人はいろいろ話すもんや。
それは当たり前や。
僕らの価値は、誰の言葉にも寄らんと、
僕らは、僕らが認めてあげればええんよ。
良いことも、悪いことも、みんなそのままで
世界のお役に立っとる。
みんな、そのままでええねん」
この記事へのコメント
1. Posted by 師匠 February 14, 2018 12:25
アンガーマネジメントだね。
介護の世界では被介護者の暴言や暴力から介護者が自分を守る手段のひとつとして知られています。
でも、仏陀って関西弁話すのは知らなかった… (笑)
by かつてはgoodtime-masuho 又は師匠と呼ばれた男 今は師匠じゃないけどね!
ところで 。さんは元気かなぁ…
介護の世界では被介護者の暴言や暴力から介護者が自分を守る手段のひとつとして知られています。
でも、仏陀って関西弁話すのは知らなかった… (笑)
by かつてはgoodtime-masuho 又は師匠と呼ばれた男 今は師匠じゃないけどね!
ところで 。さんは元気かなぁ…
2. Posted by papa February 14, 2018 23:28
こうしてここで、話せるのは懐かしいですね、師匠。
もさん、忙しいかもしれないし。
ブログと、フェイスブックは似ていますが、本質的に全く違うものです。
ちょっといろいろ試したいことがあって、しばらくこちらに力を入れていきたいと思います。
もさん、忙しいかもしれないし。
ブログと、フェイスブックは似ていますが、本質的に全く違うものです。
ちょっといろいろ試したいことがあって、しばらくこちらに力を入れていきたいと思います。
3. Posted by 師匠? February 15, 2018 00:03
直接対人援助に関わる仕事は"感情労働"って言う。自分の感情を切り売りして対価を得る仕事は時として肉体労働よりハード。医療や福祉の仕事をしてるとメンタル潰れて辞めて行く人も回りに居たりします。感情労働って大変なんです。
by師匠? しばらくハンドルネームはこれで様子見
by師匠? しばらくハンドルネームはこれで様子見
4. Posted by papa February 15, 2018 21:35
感情労働という概念は、初めて聞きました。
僕、介護やったら、すぐに折れそうな気がします。
サービスの仕事もそうですが、何かしらある度に、嫌だ嫌だと口にする人は、続きません。
すぐ辛くなるから。
生き残る人たちは、みんなマゾっ気のある方々ばっかりですわ(^_^;)。
僕、介護やったら、すぐに折れそうな気がします。
サービスの仕事もそうですが、何かしらある度に、嫌だ嫌だと口にする人は、続きません。
すぐ辛くなるから。
生き残る人たちは、みんなマゾっ気のある方々ばっかりですわ(^_^;)。
5. Posted by 師匠? February 24, 2018 16:04
感情労働
簡単に言うと感情を切り売りするようなこと。自分の感情を抑え込んだり、押し殺して仕事をすることかな。気持ちの切り替えが上手くて出来ない人はメンタル潰れて行く。
なんとか私はまだ持っていますが…
簡単に言うと感情を切り売りするようなこと。自分の感情を抑え込んだり、押し殺して仕事をすることかな。気持ちの切り替えが上手くて出来ない人はメンタル潰れて行く。
なんとか私はまだ持っていますが…
6. Posted by Papa February 24, 2018 22:39
サービス業しか分からないのですが。
お客様が無理難題を出してきたときに、ダメージ受けてたら、病みます。
僕はそれを快楽に感じるタイプです。
それもまた、良し悪しですが(^_^;)。
お客様が無理難題を出してきたときに、ダメージ受けてたら、病みます。
僕はそれを快楽に感じるタイプです。
それもまた、良し悪しですが(^_^;)。